59才から60才へ
たった1才の違いですよね。
そう思ってました。今までは。
でも実際になってみると色々違いました。
気持ちが楽になりました。
目の前に起きている事は何も変わらないのに自分の気持ちが変わったのです。
気分的な重荷を降ろし始めたのかも知れません。
何と言っても私にとって重たいものは『仕事』です。家庭の事ももちろん色々ありますがこれは子供達の成長に伴いすこーしずつ軽くなって行っている気がします。これは60才とか関係ないですね。
家族の事は自分でどうこう出来ない事が多いので、思い悩んだ所でどうしようも無い。と言う心持ちでずっと居るからだと思います。
片や仕事に関しては自分でどうこう出来る事がなんだかんだ言っても多いです。
60才になった事で自然と『終わり』を見据えるようになったからかも知れません。
息子も娘も継ぐ気は無さそうですし、自分で始めた会社を自分で綺麗に終わらせる。事に注力すればいいわけです。
数年前、会社で本当に色んな事が有りました。(またお話します。10年後位だったら言えるかな)
綺麗に終わらせるのは無理かも。ああ、強制終了か。と思った事が有ったのですが、無事、乗り越える事が出来ました。
いや、乗り越えると言うより『踏み越える』と言う感じが近いかも知れません。
どー違うのか。私にも良く分かりません。はい、なんとなくです。
乗り越えると言うのは何か優しい感じがします。踏み越えると言うのはもっとガツンガツンやっちまったぜい。みたいなニュアンスです。私にとっては。
色んな人に迷惑かけたし、色んな人に悲しい思いもさせたと思います。
懺悔です。本当にごめんなさい。
そんなこんなを強引にせよ踏み越えたので上手に収束に向かう事が出来そうな気がしています。←今ココ
これから何かが起こっても右から左へ受け流すぜ。
そう。暖簾に腕押し。糠に釘 戦法です。よくわかんないけど。
60才って自分で自分にびっくり
まさか自分が60才になるなんて思ってもみませんでした。いや、マジで。
もちろん生きていたら自動的にその年になるんだけどその当たり前が自分にも起きるとは思えなかったんですね。
いや、未知過ぎて想像が出来なかっただけですね、きっと。
今でも若い頃と特別意識は変わっていません。
でも、そう思ってる事自体、おかしな話だと思います。
たとえば27才の頃とそんなに自分は意識の上では変わっていない。つもりで居ても(←そんなつもりで居るんかいっ)トンデモない話です。
あっと言う間に年月が経ったように感じて居るのでつい最近まで27才だったように錯覚するわけです。
んなわけないだろ。
確実に30年以上の年月が経っているんです。その分、年老いている訳です。
認めろ、自分。
母からの嬉しい電話
60才の誕生日の日、母から電話が有りました。
母「お誕生日おめでとう。ところであんた、何才になったん」
私「60才だよ」
母「ああそう。良かったね。」
意味は良く分からなかったけどこの「良かったね」の言葉が本当に嬉しかったです。
何度もその母の言葉を心の中でどう言う意味だろう?って考えていたのですが、そう言う意味だったのですね。
文章にしちゃうと「これから(気持ちが)楽になるね」と言うニュアンスなんだと思います。
もうすぐ61才になります。年を取るのが楽しみな今日この頃です♪