不安と恐れ

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誰もが持っている不安と恐れ

回りから見て自身に満ち溢れて見える人も、すごく儲かってそうな経営者の人も、大ヒット連発している歌手の人でも、心のどこかに不安や恐れと言うものは持っているのでは無いでしょうか。

何も無い人なら明日からどうやって生きて行こうかと言う不安が、あるものを得た人はそれが無くなるのでは無いかと言う恐れが必ずあるはずです。

どれだけのものを得ても不安が減る事は無いような気がします。

持たない事を恐れ、持ったら持ったでそれを失う事を恐れるのですね。

自分が作った価値観によって自分を苦しめているのだと思うのです。

「持ってもいい。持たなくてもいい。」と言う中庸の考え方に出来るだけ自分を置こうと思っています。

ヨガの師匠が良く言っていました。

「出来てもいい。出来なくてもいい。」

そう言う事なんですよね。

一喜一憂しがちですが、ただ目の前に起きている事を眺める。そうする事で心はいつでも平穏でいられるのだと思います。

私が心からその境地に達する事が出来るのか出来ないのか分かりませんが、出来るだけそう言う心持ちで居たいとは思っています。

恐れも不安も全くゼロにする事は不可能だとは思いますが少しでも近づく事が出来ればと考えます。

私自身、まだまだ遠い道のりですが、人に対して過度の期待はしないようにする事は出来て来ているのかも知れません。

「この位はしてくれて当然」とは考えないようにしています。こうすべきだと思う気持ちが相手に過度な期待をしてしまい、相手だけで無く自分も傷つけてしまうような気がします。

自分の中の良し悪しの価値観を出来るだけ外して見る事が出来ればと思っています。

凝り固まった価値観を持ってしまうと自分が辛いだけですものね。

不安も恐れも消せないけれど

不安や恐れは中々消す事は出来ないのですが、どんな事でも原因を外に持って行く事はやめる事が出来るようになったと感じています。

全ての原因は内にある。その様に考えています。

と言う事は自分の考え方、感じ方次第でどうとでも変われると言う事ですね。

しょうも無い事で怒ったりしていますが、それも受け止める自分次第で怒りも多少収まります。(多少ですが)

昔はもっともっと攻撃的でした。だから昔に自分が書いた文章を読むと恥ずかしくなる事があります。

年を取って丸くなっただけなのかも知れません。色んな事を諦めたのかも知れません。

諦める、と言うとネガティブなイメージがあるかも知れませんが「諦める」と言うのは「明らかにながめる」と言う事だと教わった事があります。

変わらないものは無い

手に入れるとそれが無くなるのを恐れる。

この恐れる気持ちは消せないでいますが、それでもどんなものでもいつかは無くなる。永遠は無い。と言う事を心得ているだけでも気持ちは楽になれる気がします。

起こったアクシデントの原因を外に求める事をやめるだけでも、気持ちは落ち着くと思います。

比較する事をやめ、自分のものさしだけで判断する事をやめる。

このふたつを自分に言い聞かせて生きて行きたいです。

どう思われてもへっちゃら

人にどう思われるか、人の目を気にする事がめっきり減りました。

はっきり言って「どうでもいい」と思うようになりました。

人がどう思うかに付いて思い悩むなんてちゃんちゃらおかしいと思っています。

この事に関しては若い頃からそうだったように思います。

人がどう思うか気にするより自分がどうしたいかの方が超重要です。

イライラする事も減ります。

何にも困りません。

自分の意識ひとつです。

お・す・す・め(^^)

要するに愛

まわりの人とうまくやって行くために気を使い、悪く思われないように注意を払う。

そんな事に神経を使うより「愛する」気持ちを持つ事の方が大切だと思います。

人に優しくありたいと考えます。

自分がイライラしているとどうしても意地悪な気持ちになり、優しく出来ないです。

自分を俯瞰で見るクセを付けて、大局からモノを見れるようになればイライラする事も少なくなりますし愛する気持ちも自然に出てくるような気がします。

でも「愛されたい」と思う気持ちはエゴなのかも知れません。

自分がどうありたいか。だけを考えていれば愛されたい等、人に何かを求める気持ちも無くなってくるのではないでしょうか。

知らんけど(ノ ̄▽ ̄)ノ