
同じ事でもそれを『つまらない』と思うか『楽しい』と思うのか。
その人のクセがあるように思っています。
何でもつまらないと思いがちだと、人生もつまらなくなっちゃうかも、と思う時があります。
だから出来るだけどんな事でも楽しめるように自分の心のクセを持って行きたいと考えています。
理想はそうなんですが・・・
まだまだ人間が出来ていないので疲れていたりするとどうしてもマイナス思考になってしまいます。
これも私のクセなのかも知れません。
疲れる事によってとても気持ちが荒ぶれてしまいます。
斎藤一人さんが良い事をおっしゃっていました。
疲れないコツはね、疲れる前に休む事だよ byひとり
とても素晴らしい言葉だと思います。
それが出来たら苦労はしない。。。。とも思うのですが、そう考える事自体、自分はまだ発展途上なのだと思います。
自分の心のクセを知る事はとても大切な事ですね。
知るから対処できますものね。
親のせいにする訳では無いのですが、子供の時から「動け、働け」と言われて来ました。
家でゆっくりする事が許されなかったのです。
たまにのんびり座ってテレビを見ていると「遊んでないで手伝って!」と声が掛かります。
そう言う両親もとても働き者でした。いつも動いていた記憶があります。
寝ているなら仕方が無い、起きているなら動け、働け。と言う感覚でした。
間が無いんですよね(笑)
寝ている以外は常に何かをしていないといけない。
この習性は今も私に残っています。
だから限界まで動いてしまい、疲れて不機嫌になる。これの繰り返しです。
ヨガで瞑想を憶えてからはかなりマシになったとは思いますが、長年の習慣はそう簡単に変える事が出来ません。
動くか寝るか。この両極端思考。これには大きな声でNO!と言いたいです。
年と共に疲れやすくもなっていますので出来るだけ早く解決したい問題です。疲れる前に休む習慣を身に付けたいと本気で思っています。
その事によっていつも上機嫌でいられると思うのです。
何でも楽しめる頻度が上がってくるはずです。
楽しい!と思える思考が楽しい人生につながります。
楽しい事に焦点を合わせていきたいですね。
モノが無くても
私はどちらかと言うと物欲が少ない方だと思います。
冷蔵庫の中は何も無い位の方が好きですし、服もそう簡単に買いません。本当に気に入ったものを長く着たいほうです。
新しい服や靴を買ったらそれと同じ数の服や靴を処分したいと考えます。
すっきり暮らしていたいです。
私の母もそうだと言う事に父が亡くなってから気付きました。
父が生きている間は家の中に色んなものがあふれていました。
勝手に片付けると怒られます。
それが父が亡くなったとたん、家の中がすっきりしてしまったのです。
父のものは大半、母が処分しました。
とても仲のいい両親だったのですがそれはそれ、これはこれ、なんでしょうね。
帰省した際にちょっとその辺にモノを置きっぱなしにしていると瞬時に片付けられます。
母は元々そういう性格の人だったんですよね。全く気が付きませんでした。
たぶん、私、母に似ています。
出来る事なら必要最低限のものだけ置いて暮らしたいのです。
でも今は家族が多いのでそうは行きません。散らかし大魔王が数名います。
そう言うところもストレスに感じて疲れちゃうのでしょうね。
奴ら(散らかし大魔王達)は私がすぐモノを捨てると言う事にストレスを感じているようです。
・・・・まあ、お互い様ですね(^^;)
同じ「モノを捨てる」と言う事に対しても私はすっきりするし、逆にそれがストレスになる人も居る。
どこに焦点を合わせているかの違いなのかも知れませんね。夫は「モノが多いと安心する」と言います。私は「モノが多いとイライラする」方です。
うまく折り合いをつけてみんながご機嫌で愉快に暮らして行ける方法を考えたいです。
きっと何かが見つかるはずです。自分の心ひとつです。
自分の価値観を点検する事から始めた方がいいのかも知れません。
人をとがめる事無く、自分も大切に慈しみながら生きていけたら最高です。
津留晃一さんがこんな事を書かれていました。
瞬間、瞬間、創造行為にだけ意識を向け、どんな時も喜びの創造にあなたの意識を集中して下さい。
あなたの自由は、創造する事においての自由です。その時あなたを邪魔する何者も存在しません。あなたはそのとき完全な自由を体感することでしょう。
人を裁いたり、咎めたりしなくなったとき、あなたはその自由さ故に光輝きます。
そのあなたの放つ光こそがあなたの全ての創造の材料(素材)となり、あなたの思いが実現します。
光を放たない(即ち物質化の原材料の供給の出来ない)あなたが思いを実現できるはずもありません。この物質世界の全てが光により出来ていることを思い出して下さい。
あなたの望む現実は、あなたが放つ光を素材として形作られてゆくのです。まず心を満たすところから初めて下さい。それはほんの一瞬ですむことです。
あなたをこの次元に留め拘束しているのは、あなたの「ねばならない」とする考え方です。
こうしなければならない、あれをしなければ、という思いが、考え方が、今の自分を縛っています。自分の考え方を手放したとき、「ねばならない」とする思いが消えたとき、肉体はこの三次元にありながら、神と一つになった新しい生活が始まります。
あなたはこの次元に、必ずしも都合の良い事をするためにだけ降りてきたわけではないはずです。何不自由のない無限の領域から、わざわざこの不自由な世界に降りてきたのには訳があります。
それは体験してみたい何事かがあったからです。それは無限に自由な世界では決して体感することの出来なかった事であったはずです。
思うがままに生きていたあなたが体験できなかった事とは、まさに不自由さそのものではなかったでしょうか。思い通りにならないとは、一体どんな感覚なのだろうか?
好きでもないことをやらねばならない時、どんな感じがするのだろうか? そんなじれったいフィーリングを体験してみたかった・・・。そのことを私は思い出しました。今、気に入らない事があったらそれを充分に感じとり、そのフィーリングをこそ体験しつくして下さい。
それがあなたの生の目的なのです。それがあなたが今ここにいる理由なのです。
あなたの仕事とは感じることです。あなたの唯一の役割とは、あなたのねばならない唯一の事とは、今、そこを体験し感じとることだと伝えられました。好きなことはもちろん、好きでないことをこそ感じとってみて下さい。
それを忌み嫌うことなしに・・・。そこを感じつくし、味わいつくした時、あなたにはもはやこの次元で体感するという学びがなくなり、次なる学びの場である次元環境があなたのために用意されることとなるようです。それを可能ならしめるのは、今そのままのあなたを認め、そのままの自分を心に抱き、無条件に自分をただ愛しつくすこと、ただそれだけです。
これで完璧なのだと気付けば、ただそれだけであなたに変容が起こってきます。今の自分ではダメだと思っているあなたが変容することはあり得ません。
何故なら全ての創造主であるあなたが自分はダメだとそう決めているのですから。今、あなたはそのままで何も問題はありません。このことに例外はないようです。
今、あなたがどんな意地悪な考えを持っていようとも・・・。そんな意地悪な考えが頭をよぎる自分を、それでも良いのだとただ認め、そんな自分をそのまま条件をつけることなく愛して下さい。
ねばならない事があるとするならば、あなたのしなければならない事はただそれだけです。どんな条件もつけず、今の目の前の生をそのまま受け入れ、心に抱き、ただ自分を慈しみ愛して下さい。今、あなたの目の前にあるものを愛することを通して、あなたはあなたの神と一つになります。
あなたの源へと帰り着きます。これがあなたのするべきことであるといえるでしょう。あなたは愛から生まれ、愛を通してのみ源と一つになります。それが万人のゴールです。全てのものに、どんな意味も付けることなく、愛することが出来たとき、そこがあなたの源。神の位置であり、源との融合の瞬間です。
津留晃一メッセージ集より