祈り

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友人と京都の西本願寺大谷本廟に行って来ました。年2回、必ず行きます。

ここの『大谷さん』には私の父と妹、友人が眠っています。

眠っていないかも。笑って迎えてくれているかも知れません(^^)

デザイナーの先輩Nさんのお話

10年前、私たち共通の友人を亡くしました。Nさんと言います。

Nさんは12歳年上のデザイナーの先輩で一緒に仕事をさせてもらっていました。

当時は営業の人にも恐れられていた人だったのですが何故か私は気に入られてプライベートでも色々なところに一緒に行っていました。

みんな恐れている中で私だけが平気で口を聞いていました。

「誰にモノ言うとんねん!」と良く言われましたがその目は笑っていました。

Nさんに初めて会ったのは本町の繊維商社の面接でした。

当時はアパレルデザイナーの求人は物凄く多く、とらばーゆと言う求人情報誌で定期的に『アパレルデザイナー求人特集』と言うのが組まれる位でした。

その求人雑誌はとても分厚くて選り取り見取りな感じでした。

その中で一番、会社が立派そうで条件が良さそうな会社を探してそこの面接を受けに行きました。

婦人服デザイナーと子供服デザイナーそれぞれ1名ずつの募集だったと思います。私は子供服デザイナーで応募しました。

何故か1次、2次と受かってしまい最終面接に残った中に私とそのNさんがいました。他にもひとりいらっしゃいました。Nさんは婦人服希望でした。

集団面接だったのをなんとなく覚えています。Nさんともうひとりベテランの方が面接の間中、よくお話になっていました。おふたりとも堂々としてカッコよかったです。よくしゃべる人達だなぁとも思いましたが(笑)

面接が終わった後3人でひとことふたこと言葉を交わしたような気がします。

「もしお互い受かったらよろしくね!」みたいな事を言われたような気がします。

。。。遠い記憶なもんで。。。。

最終的に採用に至ったのがNさんと私のふたりでした。

Nさんはキャリアもあるし優秀だから、受かった理由は分かります。

私の場合はただ前職が「ファミリア」だったその事だけだったと今でも思っています。

だって受かる要素が他にないもん(笑)

後から聞くと応募者数は80名を超えていたらしいです。

ファミリアの力、恐るべし。

その会社に就職してからNさんと同じ企画室で仕事をしていました。担当は婦人服と子供服、それぞれ異なりましたが、Nさんとは10才以上違うのですが何故か気が合いました。

皆に怖れられていた人なのでその中で物怖じせずにモノを言う私の事を気に入られたのかも知れません。

よく一緒に飲みに行ったり、旅行も行った事があります。

Nさん紹介の転職先

そうこうしているうちに私に東京転勤の話が出て来ました。

結婚を控えていた私は「行くわけ無いやん。」状態で転勤を断りました。

サラリーマンデザイナーは転勤を断ったら辞めるほか選択肢は有りません。

辞めて次、どうしようかな~。と思いNさんに相談したところNさんが前に勤めていた繊維商社に私を紹介してくれたのです。

何がどうなっているのか辞めたデザイナーの紹介で新しくデザイナーを入れると言うのが今も良く分からないです。

辞めてからも影響力の強い人だったのでしょうね。

Nさんが言えば人事だって自由自在だったのです。不思議なんですが実際に有った事なんです。

凄い人です。簡単な面接だけで決まってしまいました。

なぜかNさん登場

しばらくその商社で働いていたら、なぜかNさんがまたその会社に戻って来ると言う話になりました。

何が何だか全く分かりませんが、実際に有った事です。

今度は私もNさんも婦人服担当で一緒に仕事をする事になりました。

相変わらず話が合い、一回りも年の違う私ととても仲良くして下さいました。

営業の男性もビビるほどの怖い人ではありましたが、本当に優しい人でした。

当時は若い綺麗な(爆)女性だった私は良く取引先との接待の席に呼ばれました。

とても行くのが嫌でした。

そんな時、身代わりで行ってくれたのはNさんでした。

「代わりに行ってあげよか?」と言われたら「はい、お願いします!」

申し訳ないと言う欠片も無くお願いしていました。最低の女です。

代わりに一度だけ私が身代わりをした事があります。

韓国に出張の話が有ってNさんが行くように上司から言われていました。

Nさんは行くのが嫌だったのかパスポートの期限が切れていたのか分かりませんが、こんな事をNさんに言われました。

私に「あんた、期限切れて無いパスポート持ってる?」と聞くので「はい、持ってます。」と答えたところ「じゃあ、来週から韓国行ってね!」と言われました。

よく分からないまま「はい、わかりました」と返事した私。

上司に「Nさんの代わりに私が行きます」と言いに行きました。驚いたでしょうね、上司。

ちゃんと代わりに努めは果たして来ましたよ(^^)

またまた私が転職

勤めていた繊維商社はデザイナーは正社員では無く契約社員。

毎年1回、年俸の話し合いが行われます。

年俸の事もあり、私の結婚に関してのゴタゴタ(旧姓使えない問題)もあり、その会社も退職する事になりました。

辞めてからもNさんや他のデザイナーさん達と良く合っていました。

そしてそのうち、Nさんが独立。自分のデザイン事務所を立ち上げました。

色んなアパレル会社と契約して企画を出す会社です。

何人かの人と共同経営の形だったようです。

Nさんの会社が・・・

最初の頃こそNさんの会社は上手く行っていたようですが、何年か経って内部分裂など色々あり経営が立ち行かなくなってきたようです。

何度か相談に乗らせて頂きましたが、私も色々あって自分の事で手一杯になってNさんと会う事も少なくなって行ったのです。

悲しい手紙

私も独立して会社を立ち上げました。お陰様で何とか軌道に乗り始めた頃、Nさんから手紙が届きました。

「あんたはいいよな、結婚もして子供も授かって、仕事も上手く行っているようで」

そんな事言われても~。と言う感じです。

でも最後は「何とか頑張るよ」と書いてくれていました。

何だか悲しく寂しい手紙でした。

何とかしてあげたい、と思う気持ちは有っても自分の事で本当に余裕が無くそのままになってしまっていました。

あの時、ちゃんと連絡を取って会っていればと今でも悔やみます。

悲しい、悲しい連絡

夏の暑い日でした。京都の勉強会に参加していた私に1本の電話が入りました。

「Nさんが亡くなったらしい。死後1ヶ月してからの発見だったらしい。」

Nさんはマンションに住んでいたのですが、隣の人からの「異臭がする」と言う通報で発見されたようです。

死後1ヶ月。誰にも気づかれなかったんです。死因は不明です。

あんなにお世話になった人なのに、自分の薄情さにどうしようも無い気持ちになりました。

今更悔やんでも、謝っても取り返しは付きません。

自己中だし、薄情だし、本当にどうしようも無い自分。

今もそう思っています。

ある日夢を見た

ある日、こんな夢を見ました。

空の上に居ます。白い雲の上に居ます。とても明るい所です。青空です。

ふと前の方を見るとU型のバーカウンターのようなものが見えます。

カウンターの中に誰か経っています。

Nさんです!!

ニコニコ満面の笑顔で立っています。

私が近づいて行っても何も語る事無く笑顔のNさん。

たったそれだけの夢だったのですが、とても救われた気持ちになりました。

ひょっとしたら許してくれているのかも知れない。と思いました。

あれから10年

あれから10年。同じ会社でデザイナーとして働いていた友人とふたりで年に2回、Nさんが眠る大谷さんにお参りに行っています。

許してくれていると勝手に思っていますが、何となく笑って迎えてくれているような気がしています。

どうか安らかであってください。

私がそちらに行った時は又、前みたいに怒って下さいね。ちゃんと謝りますので。

「アホか!」って言われるまでは私の気持ちが収まりません。