子供の頃から本が大好きだった
どちらかと言うと物静かな子供だった私。
本ばかり読んでいたと思います。
ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』などは小学生の頃読んでいました。
今、読んでも訳分かんないわ(笑)
中学の頃、全国読書感想文コンクールと言うのがあって各学校でひとり選ばれるらしく、私の書いた感想文が候補に挙がったのですが、最終的にダメでした。
その理由が「小説の内容が短すぎる」との事。
小泉八雲(ラフカディオ・ハ-ン)の『おしどり』と言う本だったのですが、確か数ページで終わる短編でした。
でもあの短い小説であれだけの感想文を書いたのだから逆にエライと思うのだけれどねえ。
今でも覚えているっていう事はひょっとして私、未だに根に持ってる?
さすがにそれは無いですが。。。。
高校生位になった頃、司馬遼太郎さんに完全にハマってしまいました。
おそらく司馬さんの作品は90%以上読んだと思います。
大人になって、年を取って・・・
たぶん50代ぐらいから目の疲れがひどくて。
疲れ目はあるんだけど、小さい字は読めるんですよ。今でも。
気になるので眼科ドックと言うのに行って来ました。
眼圧検査とか、忘れたけど色々な検査をしまして。
結果。どこも悪い所は無いとの事でした。
老眼も無いと言われました。
元々近視で乱視だったので近視の人は老眼になりにくいって聞いた事があるのですがホントかなぁ。
まあ、とにかく老眼では無いようです。
でも激しく目が疲れるのでそれを先生に言ったら
あ。それは年のせいでしょう。
の一言。
目薬さえもらえませんでした。
年のせいって、それも老眼の一種ちゃうんかい。と思いましたがそのまま大人しく帰ってきました。
本を読むのがしんどいゾ
本が大好きなので昔だったら一冊一晩で読んじゃう事もあったのですが、最近は数ページが限界です。
あ。昔、本屋さんで山崎豊子さんの『沈まぬ太陽』の御巣鷹山編を読み始めたら内容が衝撃的過ぎて一気に立ち読みで読み切った事があります。たぶん30代か40代の頃だと思います。
あの内容、引き込まれますね。悲しいお話です。
あんな分厚い本を一気読みなんて今は絶対出来ないですね。
本屋さんで1冊一気読みは良くやってました。はい、買わずに帰ります。ごめんなさい。
暗さにも弱くなりました。
暗くても平気で読めてたのですが、今は明るく無いと絶対無理です。
若いつもりでいても確実に老いていってます。
ヨガの師匠曰く、『老い』と言うのは素敵な変化なんだそうですよ~
Kindleだったら大丈夫
紙の本は読みにくくなりましたがKindleだったら全然大丈夫です。
明るさが調整出来るからでしょうね。
あと、漫画だったら全然平気です。
子供の頃は小説ばかり読んで漫画を読まない子供でしたがこの年になってから良く漫画を読むようになりました。
細かい字を追うより漫画の方が目が疲れないです。
漫画に目覚めるのが遅すぎですね。
まあこんな調子でKindle中心でボチボチ読書は続けて行こうと思います。
私の人生観を変えた本
たぶん40代に入ってからだと思うのですが、飯田史彦さんの『生きがいの創造』と言う本を読みました。
衝撃でした。
人生観がゴロっと変わってしまった気がします。
飯田史彦さんはこの本を書かれた頃は国立大学の経営学の教授をされていました。
元々学術誌に論文として掲載されていたもののようです。
死後の世界について飯田さんが実際に体験された事も含め、人は死んだらどうなるのかについて書かれてた本です。
最初は興味本位で読んだのですが、死んだらどうなるかと言う事以上に生き方について深く考えさせられました。
何度も何度もボロボロになるまで読みました。
それからこの方の作品にハマってしまいほとんどの本を読みました。
最近はKindleで読んでいます。何度読んでも興味深いです。
私は面白いと思った本は何度も擦り切れるまで読む傾向にあります。
司馬遼太郎さんの『関ケ原』などはページがバラバラになって大変な事になりました。
ビジネス書ばかりの時期もあり
起業してからはビジネス書を書う頻度が上がりました。
良い商売をしようと思って良く読んでました。
今は全く読みません。
面白く無いですし、興味も無いです。
色々なビジネス書を読み倒しましたが、究極のところ、自分の勘が一番信じられると思うに至りました。
このお話についてはまた。
本の面白さ
本の面白さと言うのは、想像力が掻き立てられる所にあると思っています。
いい文章は読んでいて自然とその光景が頭に浮かんで来ます。
脳にもいいような気がしています。
知らんけど。