歴史を見ているピアノ
私が小学4年生位の時だと思います。
誕生日に買ってもらったピアノです。
メーカーはビクター。音響機器メーカーのビクターもピアノを販売していた時期がありました。
当時は父の会社の業績が良かったのだと思います。
50年前、父曰く、価格は46万円と言うことでした。
まあ、何でも大袈裟に言う父が言ってた話なので盛った金額かも知れませんが(^^;)
今はほとんど弾く事もありません。
状態がとても良いと調律の方に褒められました。中の部品、全部木で出来てる!今は絶対出来ない!って話です。
大事にしようと思います。
これ、他のピアノと比べて鍵盤が重い。だから他のピアノをたまに弾くと軽くてとても弾きやすい。
音もなんとなく金属音っぽい。他のピアノの音が柔らかく聞こえます。
ピアノを習っていた頃、家で練習して教室のピアノを弾くととても鍵盤が軽かったのを憶えています。
こわーいピアノの先生
当時はピアノの先生は怖いのが普通でした。
ちゃんと練習して行かなかったらこう言われました。
「バケツを持って立ってなさい!!」
実際にバケツを持って廊下に立った事が有ったのか・・・・覚えていません。
とにかく怖い先生でした。
怖かったのですぐに辞めてしまった記憶があります。
発表会に出たのも一度だけ。
「雨の庭」と言う曲を弾きました。めちゃくちゃ練習したので今でも指が覚えています。
母の作った黄色いワンピースを着て出た写真が残っています。
あれから50年も経ったなんて、びっくりです。可愛い少女も60才を超えました。
オイルショックで全てが変わった
昭和48年にオイルショックが起こりました。
子供なのでよくわかりませんが、おばさん達がトイレットペーパーを買いだめしていたのを憶えています。
そんな事よりもオイルショックにより、父の会社も傾き、ついにこの年倒産してしまいました。
新聞の1面にも掲載された大型倒産でした。当時の負債額3億円と言うのは相当なものだったのだと思います。
後日談ですが、この時の新聞を父は大切に金庫に保管していました。
私に「凄いやろ」と言ってその新聞を見せた父の心理はいまだ不明です。
家も追い出されました。悲しい夜逃げも経験しました。父の実家にお世話になっていた時期があります。
その後、大阪に戻って来て二部屋だけの文化住宅に家族4人でしばらく住んでいました。
それまで住んでいた庭付きの大きな家とは全然違いますが、不思議な事にその事をどうこう思わなかったです。ただ受け入れるしかなかったので、感情がどこかに行っていたのかも知れませんね。
いつ聞いたのか父の「長屋にピアノは無いやろ」と言う言葉だけなぜか覚えています。
その間、ピアノはどこに有ったのか分かりません。どこかに預けていたのでしょう。
倒産のバタバタが少し収まって今度は京都の男山団地と言う所に引っ越しました。
なぜかピアノが再登場していました。
多くを語らない両親。
大変だったとは思いますが、それも経験です。大した事では無いのです。と今の私からまだ30代の当時の両親に言ってあげたい気分です。
特に母はつらい思いをしたと思います。
昔々のお話です。
今もピアノと共に
家族の歴史を見て来たピアノは今もこうして私と共にあります。
娘が小学生の頃ピアノを習っていたのでその間はこのピアノ、活躍しました。
今は弾く事もなくなりましたが、手放す気持ちにはなれません。
こんど綺麗に磨いてあげようと思います。
ちゃんと調律もしてもらいましょうか(^^)