数字に囚われていないか

この記事は約4分で読めます。

画像は2年ほど前に行った鳥取砂丘の砂の美術館。圧巻でした。

景色が変わる・・・気がするだけ?

わたくしNamigonは1962年生まれです。

ただ今61才。

60才になった時、還暦と言う事で皆さんにお祝いをして頂きました。

その少し前にYouTubeでタレントの上沼恵美子さんがおっしゃっていた言葉が耳に残っていました。

「60才になったら景色が変わる」

60才を過ぎてその言葉が良く分かりました。

59才と60才。1才違うだけなんですが。

何か違うのです。人生の残りのカウントダウンが始まった気がする。と言うか高齢者の仲間入りをした気がする。とか60才と言うと周りの見る目が変わる気がする。とか。

何となく違う気がするのです。

でも!

それらの事はすべて『気がする』と言う言葉がひっついています。

人間は徐々に年を取っていくはずで59才から60才になったからと言って急に何かが変わるはずは本当は無いはずなんです。

全ては自分の心の中で起こっている事なんですよね。

でも60と言う数字のインパクトは大きいです。

数年前に外注の方に縫製のお仕事を依頼しようと思って探していました。

『ヌッテ』と言う縫製する人と縫製して欲しい人をつなぐサービスがあるのですが職人さんの紹介欄にはその方の年齢(年代)が書かれているのです。

色々探して「この方なら」と思える方がいらっしゃいました。申し分ないキャリアをお持ちです。

年代を見ると「60代」と書かれていました。

それを見た時の私の正直な気持ちは、本当に申し訳ないけれど「大丈夫かな?」と思ったのです。

キャリアは申し分ないのに年代を見て心配になったのです。

長く続けて頂けるのか。と言う心配。体力的に大丈夫なのか、と言う心配。

その年代に私はなりました。

そう言う事なんですよね。

私がそう思ったように世間はそう見ているのでしょうね。

ところで世間って何?

世間と言うのは社会とか世の中、とか言う意味で使われていることが多いと思うのですが、世間の目と言うものに敏感になり過ぎるのもしんどいものです。

世間の目なんてどうでもいい。とまでは言いませんが、時々そう思う事があります。

誰かが嫌な思いをするので無ければ「どうでもいい」と思う事もありだと感じています。

表面の数字だけ見てなんだかんだと思っている自分。

「60才。だから何?」と思えるようになりたいですね。今は61才ですけど。

実際のところ関係ないですものね。

年を取れば取るほど個人差は大きくなって来ます。

数字上の年齢より若い人。老けている人。

どうせなら若くありたいですね。

そのためにもあまり年齢は気にしないようにして行こうと思います。

81才の母に電話した

60才になった時に母に電話しました。

誕生日祝いなのかキューブ型の可愛い箱に入ったカステラ2つと私の小さい時の可愛い写真が1枚入っていました。

お礼の電話をした時に母に聞かれました。「あんた、何歳になったの?」

60才になった事を伝えた時、母はこう言いました。

「そうか良かったね。」

良かったね、と言った母の真意はわかりませんが何だかとても嬉しかったです。

良い意味での「景色が変わる」事もあるのでその事を言ってくれたのでしょうか。

良い意味での、と言うのは何となく気持ちが楽になると言う事です。ひとつの区切り、お疲れ様感があると言う事です。

少なくとも私はそう感じています。

その後の母の言葉が面白かったです。

私が「自分が60才になるなんて思いもしなかったわ。」と言った時の母の言葉。↓

「そんな事言うたら80才なんかもっとやで」

60才ごときで四の五の言うな、と言うニュアンスでしょうか。

良い事だけ見て生きて行こう

世間の目なんてどうでもいい。と言う気持ちを今後はもっと強く持とうと思います。

身体が動くうちにやりたい事をやって行こうと思います。

がんばるよん(^^)